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そういえば高村 光太郎『智恵子抄』を持て余しています.

詩人・陶芸家の光太郎が,妻の智恵子への賛美を綴った詩集です.

明治45年から昭和27年ごろまでの詩が載っています.

光太郎と智恵子はアトリエにたった2人籠り,創作に没頭しながら貧乏に暮らします.

しかし智恵子は心労なども重なり,昔でいうところの精神分裂病に罹りました.

けっきょく2人の生活は,智恵子の狂気という失敗に終わります.

昭和13年,彼女は南品川ゼームス坂病院にて肺結核で亡くなってしまいます.

 

ところで詩の読み方,という程でもありませんが,

どうすればより深く,正しく詩を味わうことができるのか,

ということが気になっています.

 

当たり前と言えばお終いかもしれませんが,詩は小説に比べ,

言葉のリズムや語感,字面などの情報の重要度が高いと思います.

字面というと,

どこが漢字になっているのか,どこが平仮名になっているのか,

どんな漢字が使われていて,そこからどんな情景や心情が伝わるのか,

とかいうことです.

だから詩は黙読していても,心の中で音読するようにしています.

 

けれどこの頃,歴史の流れを掴まないと,致命的なまで受け取る情報量が下がるのだなあと,

ちょっとだけ実感しました(アホなので).

そのきっかけになったのが,この詩です(高村光太郎と智恵子 より引用).

 

案内

三畳あれば寝られますね。
これが小屋。
これが井戸。
山の水は山の空気のように美味。
あの畑が三畝(うね)、
今はキャベツの全盛です。
ここの疎林(そりん)がヤツカの並木で、
小屋のまわりは栗と松。
坂を登るとここが見晴らし、
展望二十里南にひらけて
左が北上山系、
右が奥羽国境山脈、
まん中の平野を北上川が縦に流れて、
あの霞んでいる突き当りの辺が
金華山(きんかざん)沖ということでせう。
智恵さん気に入りましたか、好きですか。
後ろの山つづきが毒が森。
そこにはカモシカも来るし熊も出ます。
智恵さん こういうところ好きでせう。

 

智恵子抄』に載っているこの詩は,昭和25年に書かれました.智恵子の死から10年とすこし後です.

その間,光太郎は戦争賛美の詩を書いてしまいました.

戦後,知識人たちが開き直って自身の創作をするなか,

光太郎は自らを恥じ,岩手県花巻市の山間にて謹慎生活を始めます.

この詩はそのときの作品です.

東京には空が無い,と言った智恵子を思い浮かべながら,

自身の住処を案内するきもちで書いたのでしょうか.

 

詩というのは私にはよくわかりません.

『案内』なんて地味なタイトルの詩,半分寝ながら文庫本をひらく私が,

まじめに読むはずないのです.

上記のような背景をすこしでも知っていれば,

すこしはわかること(わかった気になること)も増えるでしょう.

 

そういえば智恵子がどんな人物であったか,とても興味をもっています.

絵は残っているようですが,文人ではなかったため著作なんか無さそうです.

本人の書いたものが読みたいのに.

また,当時の日本の精神科医療にはどの程度のことができたのか,或はできなかったのか.

そのへんも個人的には気になるところです.

 

とり留めないですがこの辺で.